菅島社長が語る数多くの起業の失敗や成功の経験談

菅島社長が語る数多くの起業の失敗や成功の経験談
TMサロン

開催日:2020/10/15

負荷試験テクノ株式会社
代表取締役 菅島 大輔

 

様々な事業立ち上げを経た菅島社長のヒストリーをお伺いしました。菅島社長なりのやり方で起業した経験を面白エピソードとともにお伝えしていきたいと思います。

 

ありえない営業から始まった宝石屋時代

菅島社長(以下:菅島)皆さんこれから入社されるんですね。僕のこの話を聞いておけば、そうそう辛いことがあっても大丈夫だと思いますよ。

 

菅島:丁度みんなと同じぐらいの歳の頃からの面白エピソードで、役に立てることがあるかと思います。

僕が初めて会社に就職したのは18歳。ホントに脳みそがあるのか?というほど当初はただのバカでした。考えていることは「良い車乗りたい」「バイク欲しい」「どこかにいい女いないかな」本当にただただそれだけでしたね。

当初あったフロムエーに、横浜に新規オープンする宝石屋のジュエリーアドバイザー募集を見つけました。そこで「宝石屋のお姉さんいいかも」と思い、スーツを着て綺麗なお姉さんと働けると言う淡い想像をして面接に行きました。

京浜東北線の根岸線で行くのですが、乗ったら当初すごく仲が良かった元中学生時代の友達が二人いて「お前たち何やってるの?」「何スーツなんて来てるんだよ」と言うと、僕もスーツなので「お前も何スーツなんて着てんの?」「僕、面接なんだよ」「俺も、俺も」「えっお前も」と偶然にも同じところで三人面接だったんです。

「何処に行くの」と聞いたら「ジュエリーアドバイザー」と言うもんだから、「奇遇だね」と言って面接に行きました。みんな考えること一緒ですよ。

当時「尊敬する人は誰ですか」と聞かれて「ブルースリー」と答えました。すごくバカでしょう。僕の友達はブラックダンスの「MCハマー」と答えていました。こんな受け答えだったのですが、なぜか合格したので最高のジュエリーライフが始まると思いました。

 

次の日にオフィスに行くと何故か電話器がたくさん並んでいました。

宝石店なのに何で電話が?おかしいなと思ったんです。

責任者:「いいか、君たち。新規オープンだからこれから電話して客を呼ぶ」

責任者:「これリストだから掛けて」

菅島:「どうやって掛ければいいですか」

責任者「自分で考えろ」

菅島「自分で考えるのですか」

責任者:「宝石店がオープンしたのだからそれを伝えればいい」

という感じで電話での呼び込みが始まったんです。

「どうも初めまして宝石店ですが」と掛けたら叩かれました。

2~3日の間にほぼ辞めたんですが、僕は負けて辞めるのが本当に嫌で残りました。

でもだんだんエスカレートして、ハチマキを締めて当日アポ絶対とかなっていったんです。

 

次第に椅子もなくなってずっとスタンディングアポですよ。

憩いの場所というか逃げる場所がトイレだったんですが、「トイレに行きすぎだろう」と最終的には手と受話器にガムテープを巻かれました。

あと、やらされたのが今からラーメン屋に行って1万円稼いで来いというやつ。

ラーメン屋に行って、

菅島:「お疲れ様です。僕何でもやります」。

ラーメンの店長:「何だ、お前」

菅島:「僕は皿を洗わせたら最高です」

後ろ10メートルのところには鬼の副社長が待っているんですが、ラーメン屋さんに断られると「ドアホ。そんなんで誰が雇うか、ボケ」と言われて怒られます。

菅島:「すみません。どうすればいいですか」

副社長:「お前、頭ついているのか。自分で考えろ。それが出来てこそ営業マンだ」

答えを教えてくれないわけです。

それであの手この手でガンガン頑張るわけですよ。

そして、僕は集客を手伝えばいいと気づきました。

「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ」と客の呼び込みをしたら、本当に「1万円出してやるから、お前客をガンガン連れて来いよ」と雇ってくれました。

見事目標を達成すると、あの鬼の副社長は、「よくやった」とハグしてくれました。

わかりやすいくらいのアメとムチですが、副社長に初めて褒められて、僕もバカだったのでもう号泣ですよね。初めて手ごたえを感じた瞬間でした。

 

こういうエピソードを話すと本を書けるぐらいありますよ。

例えば「街中で歩いている怖そうなお兄さんみたいな人に喧嘩売って来い」とかね。

何が正解なのか、副社長に喜んでもらうことなのかと悩みました。「僕は営業マンだ」と叫んで喧嘩を吹っかけておいて丸く収める謎の訓練は、営業の練習にはなっていたと思います。

その時は意味不明だと思っていたんですが、そういうことを繰り返してやって来たので、喋る話術と技術がみるみる付いていきました。

中にはこんなことも。

とあるカラオケに行って3万円のお会計の時に「1万円にして来い」と言われるんです。チェーン店なので無理なのはわかってて、神妙な面持ちで「少しお金なくて」って言っても、当然1万円にはしてもらえないんですよね。でも副社長はお構いなしなので「何とかして来い」と言い、こちらも一生懸命やっていると最終的には警察を呼ばれます。

 

本当に警察を呼ばれて「副社長、どうしますか。警察にも交渉すればいいですか」と、これまでの流れからだとそうなると思うじゃないですか。

そうしたら「お前アホか。逃げろ」と言われて、「そこは逃げるかよ」と思いました。

それでもなぜ辞めなかったかというと、達成した時のアメとムチの抱擁です。

例えば飲みに行った席で、同期の青森弁の人が歌を歌っていたら変なチンピラが笑ってしまった時に、副社長がチンピラにいきなり灰皿を投げて「私の可愛い部下を何笑っているんだ」と大ゲンカが始まったことがありました。当初バカな俺たちは、「俺たちのために体張ってくれている」と感動したもんです。

結局、何が言いたいかと言うと、理不尽な課長がいたり、仕事も出来ないくせに偉そうに言ってきたり、本当に色々あると思います。

それでも僕みたいに何とかすると言うスピリッツを持っていれば、必ず上にのし上がれます。

 

一度辞めてカムバックしてから出世した先に見えたもの

学生:宝石屋には何年くらいいたんですか?

菅島:2年で一旦辞めました。

 それからまた戻ったんですが、一回そこでB to Cの営業をやって、そのあと今度B to Bに行きました。某コーヒーメーカーというユニマットのライバル会社でオフィスコーヒーを拡大させる営業をしていました。

あとは、ダスキンのライバル会社の某クリーニング業者でB to Bの営業などをやっていました。

そこでの営業は簡単すぎて、宝石を売るよりは100倍簡単で面白くなかったんです。仲良くなるのは天才的だったので、受付のお姉さんに「このコーヒー入れてくれそうな課長とか部長とかいない?」と言って口説きつつやっていました。

給料もそんなにもらえず増えず、上司は威張っているしで、こんな営業力のない上司の下なのはおかしいなと思っていました。

物足りなと思ってた時に宝石屋時代の上司とばったり会ったので、コーヒーを買ってもらうようになりました。それから届けに行っていると「帰ってこいよ。うちの会社はこんなになったよ」と言われたので、自ら厳しい古巣にカムバックしました。

 

学生:そこから紆余曲折経て店長にまでなりましたよね。

 

菅島:トントン拍子で出世して行き、すぐにお店を任されるようになって、横浜店を立ち上げたり、新宿店立ち上げたりと新規店舗の立ち上げに関わってマネージャーみたいな活躍をしました。

ただ、大阪は失敗しましたね。関西は東京人には大変です。

新卒の前で標準語であいさつして標準語で研修して、標準語で怒っても、何も響かないんですよ。

「これってこっちじゃん」て言うと「じゃん」向こうからすると気持ち悪いと心の中で思っているので、言うことを聞いてくれません。変に団結されて結構キツかったです。

関西弁をお風呂の中でイントネーションとか一生懸命トレーニングして、挙句の果てには、激昂して言い合いになっても、「なんやその言い方。気持ち悪っ」みたいに言われて気が付いたら靴を揃えて屋上に立っていました。そのぐらい追い詰められ、大阪は苦しかったですね。

ただ最後は売上がガッと上がります。僕も開き直って「もう関西弁なんか使わない。標準語でいくよ」と「〇〇でしょう?とか気持ち悪いかもしれないけど」と言って開き直ってみんなと接したら打ち解けることができて、業績が上がりました。

ところが、売り上げが上がると予想してなかった上司がテナントの解約していました。

その後店を畳んで帰る時に、あんなにいがみ合った仲の大阪連中が、

わざわざ駅まで来てくれて別れを惜しんでくれたので、新幹線で号泣でした。

それ以降はよく遊びに来てくれていましたが、 大阪店がなくなってからみんな辞めてしまいました。

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