「屋根のない時間を増やして欲しい」その意義とは?

「屋根のない時間を増やして欲しい」その意義とは?
TMサロン

開催日:2020/10/16 

株式会社ジェイボックス
代表取締役:松尾琢磨

 

工場会社では社長ではなく校長と呼ばれ、校長という名刺もあるという松尾社長。高校時代からジュエリーに目をつけ、下請けの職人から店を出すまで、そしてそれからのブランド設立までのヒストリーをお伺いしました。まず起業前に何をしていたかというのから聞きたいと思います。

 

簡単に職人にはなれなかった

僕は今48で、ちょうど30年前ぐらいの18歳の時くらいに、ネックレスや指輪などのアクセサリーの物作りをやり始めました。その当時ネックレスや指輪をする人たちは少なくて、している人はすごくオシャレでしたね。

そして、必ず男女関係になっているのはオシャレな奴とかイケメンの人気者で「こいつら良いな」と男だけで遊びながら思っていました。

僕はクラスの中では、どちらかというと男だけでずっと遊んでいるチームだったので、オシャレな人気者という感じではなかったので羨ましかったんでしょうね。作ったらモテるのかなって考えました。

当時だとクロムハーツが出始めたぐらいでとても高かったので、作れるか作れないかわからないままにとにかくやってみようと思ってやり始めました。

とりあえず、社長とかお金持ちにはなりたかったんですよね。

でもどちらかと言うと経営の勉強というより、図工が得意みたいな感じで始まりました。

何かを作って図工で食べていけるなんて割とハッピー!と思い、「職人になりたい」と思ってました。そこに対してあまり難しいことは考えてなかったのですが、たまたま行っていた大学受験のための塾で「そんな職人になんかなるな」と塾の先生に言われました。

先生曰く「職人は掃いて捨てるほどいる。やはり売れなくてはダメだ」と言われたんです。その先生は早稲田大学で学生時代に起業して塾を10店舗くらい持ち、栄光ゼミナールに10億円ぐらいで売ったという経歴の持ち主で、その人に「とにかく営業をやれ、まっすぐ職人になってはダメだ」と言われて素直な僕は「わかりました」と言って営業を始めました。

 

 

リゾートクラブ会員権のスーパーブラック時代

学生:それは18の時ですか。 

松尾:そうです。営業をやれと言われて「お前はどうしたいんだ」という話になった時に、やはりその時に本当の事を言ったのだと思います。

「モテたい」「お金持ちになりたい」そういう事を言ったのでしょうね。そうしたら「とにかく営業をやれ」と言われたんです。

僕もそうですが、営業って何をやったらいいのかわからないし、大変そうなイメージがあると思います。その当時100人入って99人辞めていく、今で言うとスーパーブラックな会社があったんですが、業績が伸びていたので「どうやってそこまで人を追い込んで業績を伸ばせるかちゃんと勉強しないとダメだ。とにかくそこに入れ」と言われました。

元々ちゃんと自分で職人としてやって行くという目標があったので入ることを決めました。

とは言え、その時どういう会社が100人入って99人辞めていく会社なのかというのも分からないので、その先生に相談したら証券とか先物とかゴルフ会員権とかで、その中でも苦しいけど少しでも楽しそうなリゾートクラブ会員権の営業がいいと思いました。

だけどやはり入ったら本当にものの見事に100人入ったら99人辞めるんです。

中途もすごい先輩もどんどん辞めていって、上の人が辞めていくと自分が少し偉くなった気になってチャンスと思いました。

 

学生:その会社はどうハードだったのですか?

 

松尾:とにかく数字を出さない人たちは休日出勤させられるとか夜中まで電話をかけているとかお昼ご飯とかも食べられないとかでした。とにかく数字至上主義で「お前は受話器と一体化になれ」とか言われた人もいて受話器グルグルにされたりしてましたよ。

結果26歳までやって、その時一番若い中で支社長ぐらいまでいきました。

このような強めの営業は消費者センターとか消費者問題というのが裏表にあるような感じですが、一応一度も消費者センターにクレームが入らない会社ということですごくクリーンな感じ支社長になれました。

給料は160万くらいでした。

だけど、お休みが潰されるのがすごく嫌で、お休みの日にウインドサーフィンとかやっていたんですけど、お休みの日に遊べなくなるのがとにかく絶対的に嫌でした。

そうなるともう開き直って目的もなく数字を出すしかなかったですね。目的もなくお金を稼ぐと言うのは割と難しかったです。僕は自分で毎週ちゃんと海に行って練習したかったし、海で会う仲間たちにちゃんと会いたいと言うのを守りたかったので数字を出すしかないと思いました。多分みんなはそれを仕事とかビジネスとか経営とかやるのだろうけど。

今、そこはいずみ号というリゾートクラブに買収されてしまって吸収合併されています。

 

27歳職人で独立からのスクール設立と出店

という感じで、27歳で独立します。

その時は下請けの職人で、一応一人だけど社長です。とうとう独立してモテるかなという期待もしつつ、やはり図工が得意だったので、下請けということではすごく仕事が貰えて、何社か取引先も持っていました。

でも、そこでもやはり問題が発生して、仕事が貰えるとお金が貰えるけど、仕事がどんどん来ると時間がなくなることが怖かったです。

だけど頼られているから、断ったら他に仕事がいってしまうのではないかという怖さがあって、パンパンなのにやっていると気が付いたら休みが取れない…。

お金はもちろん自分でやり始めた時の方が増えていました。

例えばサラリーマンだと、明日25日にこれだけ入ると分かっていれば、前日の日にお財布に8000円しかなくても8000円使える状況ですが、独立すると次にいつ入ってくるか分からないので、取っておかなければいけないと思うと怖くて少しずつ使います。

それで、納期が間に合わなくなってきたので、これ以上下請けの仕事を増やすことが無理と思い、「無理なんです」と取引先に謝っていきました。

取引先の人たちには「教える時間これだけ取るので、これだけくれたら教えます」と言ってクライアントの社員7人くらいに指輪を作る技術を教えることになりました。

教えることを始めると、当時は月謝だったので1人4万円ぐらいもらって、7人ぐらいで2~30万円ぐらい入って来るのが毎月読めます。今でいうサブスクリプションですね。

それが精神衛生上すごく安心ですし、以前のようなお金を取っておかなければいけないという怖さがありません。

これはちゃんと学校やろうと思って、下請けやりながら学校やっていきましたが、学校を始めたら始めたで、他の学校とうちの学校の違いを知ると売れない先生は先生ではないとか、売ってないのに偉そうなことを言うなとか、稼いでないのに偉そうなことを言うなとか、そんな思いがあったので、店を出すと言ったのが出店の始まりです。

 

学生:では27歳で独立して下請けで受けていたけど、それがパンパンになって学校を始めて、教えようと始めたのが何年ぐらいですか?

 

松尾:8ヶ月後ぐらいですね。「もうダメだ」と思ってからスクールを始めました。 

学校の先生は教えるだけで結局売ってないでしょう。僕がやったら絶対売れると思って33歳で店を出しました。 

そしたら、売れると思っていたけど売れない現実を突き付けられました。

ちなみに2005年の12月に銀行に出した売上目標450万円。2006年の1月は600万円という事業計画等事業計画で、毎年600万円売れるという計画だったのですが、2005年の12月の売上が450万円目標にして130万円でした。

何がすごいってその130万円の100%が僕の友達です。

友達が来ると「これ2万4000円って書いてあるけど、4万でもいい」と言って友達値上げ。友達値引きができる余裕もなく、彼女がいない友達とか来ても一番高いやつを買ってもらって、「お母さんにあげて」とか言ってましたね。本当に友達たちのおかげで130万円作れました。

でも、そんな友達も毎月は来てくれませんから、2006年1月の売上目標600万円に対して結果20万円。12月に来れなかった静岡の友達が来てくれて買ってくれました。

だから本当に腕があってお店があってもどうにもならないってことがよくわかりました。お金がない中でのたうちまわるから、できることも限られているし非常に難しかったです。

そんなスタートを切っていったわけですが、一応今月は今日の段階で870万円ぐらいです。今月の売上見込みはおそらく1600円とか1700万円ぐらいじゃないかと。売上20万円から15年かけてやっとここまできたんですが、実は宣伝広告費はゼロなんです。

社内ではやっていますが、なぜそうなったかと言うと、お金が全くなくなって売れないという状況が長い期間あったので、その中で何をしたらいいかというのを考える知恵がついたからだと思っています。のたうち回ってなんとかやってこれたのがすごく良い経験で、今学校で生徒たちに「お金がなくなった時はこうした方がいいよ」というのを教えています。 

 

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